「もうアンタとは2度と一緒に歩かんワイね!!」
・・・と、0親等の御仁が私に向かって突然宣言し、早歩きにてすごいスピードでブログ主の元を去っていきます。
少しでも早く離れたいと言わんばかりに・・・・・
1秒でも同じ場所に居たくないと無言で語るがごとく・・・・・
かなり激オコのご様子です・・・・・・
一体、何が起こったというのか?????
画像は、白神社(しらかみしゃ)付近の平和大通り遊歩道です。
神社の桜を眺めたスリムちゃんブログ一行2名は、歩行者専用アーケードである本通商店街に向かっていました。
0親等の御仁「あれ?青じゃん、行かんの?」
交差点前で立ち止まった私を促して、青信号の交差点を渡ろうとする0親等御仁。
スリムちゃん「あ、危ないっ!」
0親等の御仁「何で?!信号は青よ」
スリムちゃん「歩行者信号は赤じゃん!!」
0親等の御仁「え?青なのに赤、この交差点どうなっとるん?」
スリムちゃん「どうかしてるのはアンタだろ。ここは歩行者と車両が分離のスクランブル交差点じゃ!」
私は、かなり強めに注意喚起しました。
命と安全に関わることなので当然でございましょう。
0親等の御仁「え?こんなに小さい交差点でスクランブルとか有りなん??」
スリムちゃん「おお!全国どこにでも有るわ!特にここは小学校近いから安全対策もあるのだろう」
たぶん、0親等の奴は渋谷とか交通量や歩行者が多い交差点を思い浮かべていたのでしょう。
しかししかし、それ以前に、歩行者用信号を見落としていることが問題でしょう。
0親等の御仁「こんなところにスクランブル交差点あったらかえって危ないんじゃ・・・」
素直に歩行者用信号を見落としていたと言えば話はややこしくならなかったのに、なぜか文句をいう0親等。
スリムちゃん「自分の過ちを認めずに強引に押し通すなんて、トランプと一緒じゃん!」
0親等が忌み嫌うトランプとお前は同列だと断罪し、更に激しく注意するブログ主。
歩行者信号が青に変わり、歩き始めたスリムちゃんblog一行2名。
0親等の御仁「でも、やっぱりここには必要ないわ。私みたいに間違える人が多いと思う・・・」
スリムちゃん「うんにゃ!歩行者信号を見れば良いだけの事。ボケが始まってるんじゃないのか?」
オノレの間違いを認めずいつまでも自説にこだわる0親等に向かって、ついに私の口調もキツくなり、とうとう大音声を放ちました。
一部始終の話を聞いていたにちがいない前を歩く若いカップルが、私の大声に一瞬「ビクン」と反応したようですww
0親等の御仁「そんなに大声で言わなくてもいいじゃん、スクランブルだと気がつかなかったんだから・・・」
スリムちゃん大音声「歩行者信号を見なかった事を偉そうに言うなよ!しかも小学校1年生で習う事を、な!」
0親等「もうアンタとは2度と一緒に歩かんワイね!!」
・・・と、0親等の御仁が私に向かって突然宣言し、早歩きにてすごいスピードでブログ主の元を去っていきます。
スリムちゃん「(この人、こんなに速いスピードで歩けるんだ・・・知らなかったわ・・・・)」
早歩きで立ち去る0親等を呆然と眺める私・・・・・
・・・強く言い過ぎたかな・・・・・・
・・・確かに、横断歩道の線が消えかかっていたり、歩行者用信号も角度的に見えにくかったかもしれない
・・・最近は行政も予算不足なのか昔よりも車線や横断歩道などの線が薄れていても放置している箇所も多いからなぁ・・・・
・・・あいや、でも命に関わることだからな・・・・・
・・・怪我や事故が起きてからじゃ遅いんだ、逆ギレされて、こっちも腹立つわ!・・・・
どんどん遠ざかる0親等の元に走って近づき追い越し、すれ違いざま、私はこう言い放ちました。
さ。
ここからは晴れて別行動の「ひとり桜狩り」を楽しみます。
スリムちゃん「あれ?ここは何と!」
・
🔲袋町小学校「平和資料館」
・ 爆心地から460メートルの位置にある広島市立袋町小学校(当時袋町尋常高等小学校)は、原爆によって大きな被害を受けました。 当時、多くの児童は集団疎開や縁故疎開により被災を免れましたが、残っていた百余名の児童、そして教職員のほとんどが一瞬にして命を失いました。 木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原型をとどめ、避難場所や救護所として、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる場となりました。 人々は、床に散らばるわずかなチョークで、焼けた壁に伝言を記しました。 授業が再開されたのは、昭和21年(1946年)5月でした。 平成14年(2002年)、老朽化した校舎の建て替えに伴い、被爆した西校舎の一部が袋町小学校平和資料館として保存されました。 「伝言」の書かれた内壁の一部をはじめ、残された貴重な被爆資料を展示するとともに、被爆後の学校の様子を紹介しています。 【出典;ひろしま公式観光サイト 袋町小学校平和資料館 より、転載させていただきました】 |
被爆建物として一部が今も残る袋町小学校旧校舎。
現在は被爆資料の展示など平和資料館として使用されています。
数年前に93歳で亡くなった元少年特攻兵で原爆投下後は救護活動に携わった1親等の御仁が70代のころ、この平和資料館でスタッフとして被爆体験を修学旅行生たちに説明していたのです。
戦前は元特攻少年兵で軍国少年であり、戦後は他の人と同じように何となく中国や韓国を嫌っているようなムードを醸し出していた私の1親等の御仁でしたが、人生最後に良い仕事をしてくれました。 ![]() それは、広島市に数か所ある原爆資料館の分館で、主に修学旅行生相手に原爆の体験談を話す「語り部」の仕事をしたことです。 その場にいなかった人ではないと分からないこともある、戦争や原爆の怖さ。 1親等の御仁が「語り部」として平和の大切さを訴えたのは、自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを若者に語りたかったからだと、思います。 ・ 【出典; 検索小僧ちゃんねる(2024年版)⑧元少年特攻兵の平和の願い (2024年09月24日)】 |
スリムちゃん「今や戦後81年か、直接原爆を体験した人が話す機会は激減しているよなぁ・・・」
この平和資料館では今でも被爆体験者がスタッフとして説明員をされているのか、調べてみますと・・・・
↓
≪AI による概要 ≫ 袋町小学校平和資料館では、主に同校の児童(6年生など)が来館者に対して説明や案内を行っています。 児童が自身の言葉で平和について学び、伝える役割を担うことで、被爆の歴史を語り継ぐ活動が行われています。 主な特徴と案内体制 児童による案内: 1グループ(5~10人程度)ごとに、児童がキビキビと館内を説明・誘導する事例があります。 平和学習の場: 学校の6年生が平和学習の一環として、観光客へのインタビューや案内を通じて、平和を自分の言葉で語れるようになることを目指しています。 |
↑
何と!
今は小学6年生の皆さんが被爆の歴史を語り継いでいるなんて、ワンダフル&ソウルフル&パワフルandハートフルそしてbeautifulでございましょう!!
・
0親等の御仁と大喧嘩した後、単独行動にて桜狩りを楽しむブログ主。
さらに、桜めぐりは続きます!!

この記事へのコメント