検索小僧ちゃんねる(2024年版)⑧元少年特攻兵の平和の願い

検索するまでもなく頼んでもいないのに、スリムちゃんが興味ありそうな記事を勝手に絶え間なく、スマホに送り付けてくる「Googleおやじ」・・・・・・

【動画出典;YahooJAPAN未来に残す戦争の記憶  待ち受けていたのは"特攻"ではなく"原爆"だった 「生きたまま焼かれた」 元少年兵が語る地獄だった広島 より、共有埋め込みコードにてリンクさせていただきました】
   ↑
≪動画のポイント≫
●太平洋戦争末期。世間に知られることなく展開された特攻部隊があった。
●全長約5.6mのベニヤ製のボートに爆雷を積んで敵艦に突っ込む。
●太平洋戦争末期、陸軍が秘密裏に開発した小型ボートで特攻攻撃が行われていた。
●「マルレ」と呼ばれたこの特攻艇を操縦していたのは、陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」に所属していた10代の少年兵たちだった。
●広島の暁部隊、そこにはボートによる特攻訓練をする少年兵がいた。
しかし、命を失う覚悟を決めた彼らを待ち受けていたのは、"特攻"ではなく"原爆"だった。
●戦後79年、多くの元少年兵が90代半ばを迎え、取材を受けることが難しくなる中、岩手県に住む男性が取材に応じてくれました。
86歳被爆者は水上特攻 「マルレ」の生き残り 
ニューヨークで被爆体験語る
「核兵器の恐ろしさ、戦争の残酷さ直接伝えたい」
【動画出典;RCC NEWS DIG Powered by JNN (2023.11.07)より、共有埋め込みコードにてリンクさせていただきました(2015年5月放送)】
   ↑
≪動画のポイント≫
●核軍縮を協議するNPT再検討会議の会場で自らの被爆体験を伝える土屋さん(2015年当時86歳)
●土屋さんは、大戦末期、ベニア板製のボートで敵艦に突っ込む「水上特攻兵」の生き残りである。
●広島の江田島で水上特攻の訓練を受けていた時に、広島市に原子爆弾が投下された。
●土屋さんたち兵隊は救援のため、上陸用舟艇に乗って宇品港(広島港)へ向かった。
●全身に大やけどを負った人など、広島で目にした光景は地獄絵図であった。
●「兵隊さん、死んでもいいから水をください」とあちこちから断末魔の声があがっていた。
●核兵器の恐ろしさ、戦争の残酷さを世界の人々に直接伝えたいという土屋さんの思いはどう受け止められたのか。


Googleおやじが、「陸軍船舶司令部、暁部隊に属する少年特攻兵たち」の記事や動画を私のスマホに送ってきたのには理由があります。
それは・・・・・・・
暁部隊、劫火へ向カエリ  (2).JPG
2024年8月の終わり・・・・・
広島市平和記念公園に現れたスリムちゃんブログ一行。
暁部隊、劫火へ向カエリ  (4).JPG
平和公園敷地内にある「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」
 広島県広島市中区中島町1-6、平和記念公園内
(広島電鉄;原爆ドーム前電停から約330m)
(広島電鉄;本通電停から約400m)
(アストラムライン;本通駅から約400m)
原爆死没者追悼平和祈念館、今回の降臨目的は、企画展の見学でございます。
暁部隊、劫火へ向カエリ (1).jpg
太平洋戦争末期、陸軍の「特別幹部候補生」として船舶司令部(通称「暁部隊」)に配属され、江田島に集められた少年兵たちは、㋹(マルレ)と呼ばれた一人乗りのベニヤ板製モーターボートで敵艦を撃沈させる特攻訓練を受けていました。

しかし、死を覚悟していた彼らを待ち受けていたのは特攻ではなく、1945年8月6日の原爆投下でした。「本務を捨てても広島市の救護に立て」との命令を受け、急行した彼らが死の街広島で何を見て、何を感じたのか。彼らの心情に迫ります。

【出典;国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 より、抜粋引用させていただきました】
暁部隊、劫火へ向カエリ  (7).JPG
数年前に93歳で亡くなったブログ主の1親等の御仁。。。
彼は太平洋戦争中の17歳当時「陸軍船舶特別幹部候補生」に志願し、通称「マルレ」と呼ばれる全長5.6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する「少年特攻兵」として、広島湾に浮かぶ江田島の幸ノ浦で特攻訓練を受けていました。
いずれどこぞの戦地に赴き特攻し死ぬはずだったのですが、原子爆弾で潰滅した広島市内への救援作業に従事する中で終戦を迎えて、命を落とさずに済んだということです。
暁部隊、劫火へ向カエリ  (5).JPG
㋹艇の「実物大」レプリカ(長5.6m×幅1.8m×高1.0m)が展示してありました。
暁部隊、劫火へ向カエリ  (6).JPG
沖縄やフィリピンなどに派遣された暁部隊の1期生は、2288人中1636人が戦死したそうです。
広島市内の救護活動に従事した1親等の御仁が何期生だったのかは実家に帰って資料を見れば分かりますが、とにかく、実際に特攻で戦死した部隊もあったので、戦争が長引いていれば1親等の親族も死んでいたはずなので、私も生まれていなかったでしょう。
【企画展で上映されていた動画】
暁部隊、劫火へ向カエリ (1).png
【動画出典; 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 企画展 「暁部隊 劫火ヘ向カヘリ-特攻少年兵たちのヒロシマ-」   展示映像を見る(約25分)(MP4:98.6MB) より、ご覧いただけます】
       ↑
50人程度が入場できる試写室で、その大半は外国人観光客と見受けられる人々が視聴していました。
ハンカチで涙を抑えながら見入っている外国人もいらっしゃいました。
暁部隊、劫火へ向カエリ (2).png
暁部隊、劫火へ向カエリ (3).png
「命を無駄にするな」と言う事はできますが、しかし、もし戦争の時代に青春を生きていたら、回りの人が次々に戦死したりしていたら、やはり私も含めて多くの人が志願を選択するのではないか。。。。
「同調圧力は、いとも簡単に死の強要につながる」・・・・・・・・
そういう意味でも戦争の恐ろしさは、今も続いている・・・と、スリムちゃんは考えます。
ただし。。。で、ある。
真っ先に前線に行って死ぬのは「若者」だし、生活に窮乏するのは「一般市民」、集団自決(強制集団死)で巻き添えを食うのは「子ども」
原爆でも、建物疎開作業に従事していた多くの「中高生」が犠牲になっています。
このような犠牲者の皆さんがいて、かろうじて今の平和が築かれているんだという事を、決して忘れないようにしたいものでございましょう。
【町内会長:鮫島伝次郎】
①戦前
はだしのゲン (1).JPG
     ↓
②戦後
que-14229313824.png
【画像出典;スリム鳴造蔵書「はだしのゲン」より転載】
昔は「鬼畜米英」
今は「ヘイト中国韓国北朝鮮」
もちろん、逆に中国韓国の日本人ヘイト教育や、香港やチベットの人に対する弾圧などの政策を行う外国政府には首をかしげざるを得ないことが多いのも事実でしょう。
た・だ・し。。。。。で、ある。
そこに暮らす一般庶民や、食いもんや文化まで憎んだら、それこそ根っこは同じ「ヘイトの煽り」で、戦前と何ら変わりありません。
結果的に、人々が分断されて痛い目に遭うのは「一般庶民」や「子ども」であることに、なぜ気が付かないのか。
はだしのゲン (10).jpgはだしのゲン (9).jpg
はだしのゲン (5).JPG
はだしのゲン (6).JPG
はだしのゲン (7).JPG
【画像出典;スリム鳴造蔵書「はだしのゲン」より転載】
漫画「はだしのゲン」で、戦争に反対していたゲン一家を苛め抜いた町内会長「鮫島伝次郎」
戦前は「軍国国家の信者」、戦後は「植民地国家の傀儡」として描かれた、まさに令和の今こそドンピシャリでございます。
鮫島伝次郎とは正に、今の日本の政治権力の中枢にいる輩どもでございましょう。
ただし、「鮫島伝次郎」は私の心の中にもいるし、大勢の大人もあてはまることもあるでしょう。
はだしのゲンの作者である12年前に72歳で惜しくも亡くなられた中沢啓治先生は、人生最後の講演で次のようにおっしゃっておられました。
「戦争ってのはいきなり起きるんじゃない。戦争を嫌う人を何が何でも戦争の流れの中に引き込んでいく その流れの恐ろしさです」
・・・・・と。
はだしのゲン (2).JPG
と言いつつ、少年特攻兵だった1親等の御仁は、ま、穏やかな人でしたが、毎回の選挙では「鮫島伝次郎的な人」つまりバリバリの自民党に投票していましたね。
「資本家でもないし、金持ちでもないくせに、何でワザワザ自民党員なんだ、この親父はw」と、私は思っていました。
特攻の決意を持ち、原爆で死体整理など救援活動を行ってきた私の1親等の御仁(父)でしたが、私の客観的な視線では、戦後生まれでヌクヌク育った私がいうのも変ですが、「それでも、他の人が味わったような、もっとひどい本当の地獄は経験せずに済んだ」という評価です。
つまり、実家が田舎で帰る家もあったし親や家族も生きてたし、食う米もあったし、直接原爆や空襲に遭わずに済んだし、苛酷な戦線や外地引き揚げも経験していないですからね。
(もちろん、後から広島市内に入った「入市被爆者」として被爆者原爆手帳を持っていましたが、93歳まで生きたので長寿を全うしたといえましょう)
シベリア帰りではないので共産主義に染まることなく、田舎者が幸いして労働運動にも興味なかったでしょう。
高度成長期に、懐かしそうに軍歌を聞いて、カープ応援して、自民党に投票して、長寿を全うした、概ね平穏な戦後だったと思います。
でもま、こういう人が平均的な日本人であり、正に「鮫島伝次郎を支持する”普段”は良心的な庶民」でございましょう。
つまり、今の令和で言うと、大金持ちや大企業を優遇し一般庶民や零細自営業などを困窮させる政策をとる政党を支持している人の支持層は、正に「一般庶民、零細自営業者」などが多いということです。
そして、もし1親等の御仁がインターネットに夢中になっていたら、ネット情報見て、益々「反中、反韓」の思想を固めていったことでしょう。
そういうムード&同調圧力&仲間意識の中で、戦争はヒタヒタと近づいてくるんだろうな・・と、思います。
ちょっとしたきっかけで、世の中全体が同じ方向に走りだす危険性が常にあるのでしょう。
中島祐一 ありのままに on X: "卑怯者、臆病者と言われてもええ、非国民とののしられてもええ。 自分の命、人の命を大切に守ることが、いちばん勇気のいることなんじゃ  はだしのゲンより https://t.co/dF5mBRZbgj" / X
コロナ禍の時には、国内でさえ「他県ヘイト」があっという間に広がりました。
同じ日本人同士でも、自分の身が危ない時には、醜い面も露呈するということです。
「はだしのゲン」や「火垂るの墓」が原爆投下国アメリカの人々にも受け入れられている一因として、例えば、「はだしのゲン」では「意地悪な江波の親戚の婆さん」、「火垂るの墓」では「意地悪な西宮の親戚のおばさん」など、アメリカが行った大量殺戮(空襲や原爆)以外での、日本人同士のヘイトな人間模様が正直にしっかりと描かれているからではないか、と、思います。
はだしのゲン.jfif
た・だ・し。。。。で、ある。
戦前は元特攻少年兵で軍国少年であり、戦後は他の人と同じように何となく中国や韓国を嫌っているようなムードを醸し出していた私の1親等の御仁でしたが、人生最後に良い仕事をしてくれました。
それは、広島市に数か所ある原爆資料館の分館で、主に修学旅行生相手に原爆の体験談を話す「語り部」の仕事をしたことです。
その場にいなかった人ではないと分からないこともある、戦争や原爆の怖さ。
1親等の御仁が「語り部」として平和の大切さを訴えたのは、自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを若者に語りたかったからだと、思います。
暁部隊、劫火へ向カエリ  (8).jpg
「中国の脅威だ、台湾有事だー」とのネット工作の煽りに反応して勇ましい思いを強くする人たちがいるのも、自由ですが、じゃ、お前の子どもが先頭に立って飛び込むことになっても良いのかと言いたいですね。
定期的に北朝鮮にミサイル飛ばしてもらって、危機を煽って、アメリカの言い値でくそ高い中古品の兵器を爆買いするよりも、日本人ひとりひとりの生活を助けるためにカネを使ってもらいたいものです。
もう後戻りできなくなって自分や子どもや孫や玄孫が命の危機に晒される事態が起きたりしないように、惑わされず、冷静になって物事を考えていきたいものです。
「右か左ではなく上か下かでもなく、横繋がりで」
「美味い食いモンに国境なし、何でも食いまくる」
この2点をモットーに、これからも拙ブログは続けてまいります。
暁部隊、劫火へ向カエリ  (1).JPG
【戦争を知る】集団自決・運命を分けた2つのガマ 
~日テレ戦争アーカイブス~
【動画出典; 日テレNEWS (2021.08.13)より、共有埋め込みコードにてリンクさせていただきました(2015年5月放送)】
   ↑
≪動画のポイント≫
●沖縄戦では、家族や知人同士で殺しあう「集団自決」の悲劇が起こった。
●わずか2時間ほどで釜にいたおよそ140人のうち83人が自決、そのうち49人が18歳以下の子ども。
●日本軍は、住民が捕虜になり情報が漏れることを恐れていた。
●アメリカに捕まると殺されると恐怖心を煽り、捕虜となるのは恥だから捕まる前に自殺しなさいと教え込んだ。
●この恐怖心の刷り込みと教育が悲劇を生んだ
「地獄なんて生易しいものではない」
漫画「はだしのゲン」の原型となった作者の“凄惨な体験”…
中沢啓治の自伝「おれは見た」を巡る
【動画出典; TBS NEWS DIG Powered by JNN (2023.02.26)より、共有埋め込みコードにてリンクさせていただきました(2004年8月6日OA)】
   ↑
≪動画のポイント≫
●世界中で読み継がれる漫画「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さん。
●6歳の時、爆心地からわずか1.2キロ地点で被爆した自伝「おれは見た」
● そこで描かれる中沢少年の凄惨な体験は後に「はだしのゲン」として描かれた。
「地獄なんて生易しいものではない」光景、そしてあり得ない母親の死とはどれ程の出来事だったのか。
●「はだしのゲン」の原型である「おれは見た」をベースに番組で中沢さんが伝えたメッセージとは・・
【被爆体験の伝承】渋谷にキノコ雲…
いまの広島で被爆疑似体験|
被爆者がいなくなる時代のために
【動画出典; 【公式】HOME広島ニュース (2024.09.14)より、共有埋め込みコードにてリンクさせていただきました】
   ↑
≪動画のポイント≫
AIやVRなどのデジタル技術を使って被爆の体験を伝える取り組みが広がっています。
●変わる継承のカタチ。本格化する先端技術を使った被爆継承の今に迫りました。


インターネット創成期からの2ちゃんねらーにして、狂気&狂喜の検索好きマニアの私「スリム鳴造」
「検索小僧ちゃんねる」は、その時その時に関心を持った話題などを検索して張り付けたり、あるいは、Googleオヤジが私向けに送ってくださった記事などを取り上げたりする、自分自身の備忘録的な内向け陰キャなシリーズです。


この記事へのコメント