ヘルシー長寿研究会2022(5)偉人に学ぶ健康長寿

新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛や人と会う機会が激減しているという「低活動・不活発」
社会問題化しているのが、主にご高齢者の体力や認知機能さらには感染症への免疫力の低下などの健康二次被害を引き起こす負のスパイラル、それがいわゆる「コロナフレイル」でしょう。
コロナに負けないために 自宅で簡単フレイル予防!! (令和2年5月1日号) | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
多くのご高齢者が「フレイル(虚弱)」の期間を経て、徐々に要介護状態になるといわれています。
フレイルを予防し、できるだけ「健康寿命」で生活できる期間を長くしていきたいものですね。
健康長寿のための「3つの柱」.png
【参照画像;健康長寿ネット「より早期からの包括的フレイル予防」より抜粋して引用させていただきました。】
今回は、健康長寿のための3つの柱「栄養」「身体活動」「社会参加」を実践して「亡くなる直前まで元気に過ごした」歴史上の人物から、健康長寿の秘訣を学んでみようと思います。

🔲栄養
現代の予防学にも影響を与え続ける
江戸時代のベストセラー作家の健康術
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貝原益軒肖像(1700年頃)
【画像出典;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』貝原益軒  より、転載させていただきました。】
貝原 益軒(1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。
50年間に多くの著述を残し、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育などの分野で先駆者的業績を挙げた。

【出典】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』貝原益軒  より、抜粋引用させていただきました。】

神田紅 創作講談
「貝原益軒 養生訓」ダイジェスト
【出典;講談師 神田紅公式チャンネル より、共有埋込コードにてリンクさせていただきました。】
江戸時代の健康で長生きするためのバイブルともいえる医書の「養生訓」(1712年)は、当時のベストセラーであり、現在でもその考え方や精神は今日の一次予防につながるものとして注目され続けています。
養生訓とは、江戸時代を生きた儒学者であり、医者でもある貝原益軒によって、健康で長生きするためのエッセンスが書かれた書物です。
養生訓は貝原益軒が83歳の時に書かれた本だといわれています。
江戸時代の人々の平均寿命は40歳を下回っていましたが、その時代に、貝原益軒は85歳まで生きました。
最期まで認知症や寝たきりになることなく生涯を全うした、
まさに健康長寿を体現した人物です。

【出典;健康長寿ネット 養生訓 より、抜粋引用させていただきました。】


🔲身体活動
旺盛な好奇心か、国を想う使命感か
地球一周分4000万歩を歩いた御仁
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伊能忠敬銅像
【画像出典;富岡八幡宮 より、転載させていただきました。】
伊能 忠敬(いのう ただたか、延享2年1月11日〈1745年2月11日〉- 文化15年4月13日〈1818年5月17日〉)は、江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家。
 寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量し、『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。

【出典】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』伊能 忠敬  より、抜粋引用させていただきました。】

【ジャパンサーチでたずねる伊能忠敬】
伊能図の完成までの道のり
【出典;JAPAN SEARCH公式チャンネル より、共有埋込コードにてリンクさせていただきました。】
50歳で隠居した後、55歳から日本全国を巡る測量の仕事を開始した伊能忠敬。
人生の黄昏時から大きな仕事を始めて成し遂げたわけですが、このことは「人生、何かを始めることについて遅すぎることはない」と、励まされます。
地球の大きさを知りたいという抑えることのできない好奇心、それが幕府から国防事業と言う大義を引き出したのでしょう。
今から200年以上も前、鉄道も自動車もなく全行程を「徒歩」で測量するというご苦労は想像を絶すると思う反面、時代は既に社会資本が充実していた江戸時代、街道の整備、行く先々での人々の協力などの「社会インフラ」に、大いに助けられたことでしょう。
健康長寿のポイント、「身体活動の継続」と「社会とのつながり」が、しっかり結び付いていますね。
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【出典;国土地理院ウエブサイト 古地図コレクション より、転載させていただきました。】
運動習慣がない人が、いきなりはげしい運動をするのは無理があります。
そこでまず始めてほしいのが、「歩くこと」です。
とくに、正しい姿勢で、速く、大股で歩く「ウォーキング」は、からだに酸素をとり込んで脂肪を燃焼させる効果が高い、有酸素運動の代表格ともいえる立派な運動です。
日常生活のなかに簡単に組み込めることや、からだへの負担が少ないことも大きな魅力です。
日常生活では1日8,000歩が目安です。
まずは「歩くこと」で健康長寿への第一歩を!

【出典;PayPayカード健康保険組合 伊能忠敬と学ぶ 「たくさん歩いて健康になろう」 より、抜粋引用させて頂きました。】


🔲社会参加
念仏ひとつでみな平等に救われるんだ
ご縁を大切にして生涯伝え続けた御仁
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【画像出典;スリム鳴造蔵書、親鸞関連書籍】
親鸞は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。
浄土真宗の宗祖とされる。
法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。
自らが開宗する意志は無かったと考えられる。
生年月日: 1173年5月21日
死亡日: 1263年1月16日

【出典】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』親鸞  より、抜粋引用させていただきました。】

日本史上最高の思想家!
『親鸞』の生涯と『他力本願』という救い【ダイジェスト版】
【出典;山田玲司のヤングサンデー より、共有埋込コードにてリンクさせていただきました。】
鴨長明が著した「方丈記」を読みますと、親鸞聖人が生まれて思春期を過ごした平安末期は、火災、竜巻、飢饉、疫病、地震などが相次ぎ、人々の間では現世否定の「末法思想」が流行してしまう希望のみえない時代だったようです。
そんな中、念仏を唱えることのみで万人が救われるとした法然上人の教えに感銘して、それを広めることに生涯をかけた親鸞聖人。
社会的に差別されている弱者や女性ましてや「悪人」こそ救われるとした「阿弥陀様に身をゆだねなさい」
「念仏ひとつでみな平等に救われる」とした親鸞聖人の法話に、当時絶望的な日々を過ごしていた無数の庶民が生きる希望を見出したことでしょう。
五木寛之先生の大ベストセラー「小説;親鸞」によりますと、親鸞は晩年、弟子の誤解、子供との絶縁など大変な日々を過ごされたようです。
鎌倉時代当時では、90歳というかなりのご高齢で往生された親鸞聖人。
た・だ・し。。。。で、ある。
高齢で体力的に京の都から離れらなくなった親鸞は、なお著作に熱心に励んだり遠い関東の人々との手紙の交換など、社会とのつながりを生涯続けられました。
恐らく「死ぬ暇がない、時間が惜しい」という状況だったのではないでしょうか。
「オイラにはまだまだ人に伝えたいことがあるんだ!多くの人を救いたい」と。
そう言えばアンパンマンの作者のやなせたかし先生は94歳のご高齢で亡くなられましたが、亡くなる前に「まだ死にたくないよ、これから面白いのに」とインタビューでおっしゃってましたね。
やなせたかしさん死去
世界一弱いヒーローに込めた思い
【出典;たかはしこきお より、共有埋込コードにてリンクさせていただきました。】
そう言えば、凄まじい戦争体験をされたゲゲゲの鬼太郎作者の水木しげる先生も93歳のご高齢でした。
本当に悲惨な体験を通じて「人を大切に想う優しい人や作品」を生み出すに至った人たちに感謝し、それを次の時代の人に伝えるためにも長生きしたいものです。
遺伝や長寿者ご自身の生命力も影響しているものと思われますが、やはり「人とのつながり、支え合う社会の一員」の生涯を通じての継続が、ヘルシー長寿にとって、何より大切なのかもしれません。
映画「アンパンマンが生まれた日」【アンパンマンアニメ公式】
【出典;それいけ!アンパンマン【アニメ公式】 より、共有埋込コードにてリンクさせていただきました。】

「ヘルシー長寿研究会2022」では、「高齢化」&「少子化」そして「多死社会」を迎えていく時代の中で、どのように「ヘルシー&長寿」を過ごしていけばいいのか調べて、読者の皆さまとお役立ち情報などを共有できたらと考えて記事作成してまいります。

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