天平の疫病大流行は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。
ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている。
天然痘は735年に九州で発生したのち全国に広がり、首都である平城京でも大量の感染者を出した。
737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となり、国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死した。
天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息したが、日本の政治と経済、および宗教に及ぼした影響は大きかった。
【出典;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』天平の疫病大流行 より、抜粋して引用させていただきました。】
【画像出典;ウイキペディア 復元された平城宮第一次大極殿 より転載させていただきました。】
西暦735年から737年という事だから、今から約1300年前頃に大流行した奈良時代の天然痘。
ウイキペディアによりますと日本の中央政府は、8世紀初頭までに中国にならった疫病のモニタリング制度を導入しており、国内で疫病が発生した際には朝廷への報告が常に行われるよう公式令で定めていたそうです。
この制度の存在により、735–737年に発生した疫病の際にも詳細な記録が残されることとなり、それらの記録は『続日本紀』他の史料に残されており、流行した疫病が天然痘であったことを伝えているとのこと。
当時の日本の人口の約25%~30%が感染死亡したとの記録を現在の日本の人口にあてはめますと、3000万人以上が死亡する換算になりますので、いかに凄まじい疫病だったかが分かりますね。
相次ぐ国難に悩んだ聖武天皇が743年(天平[てんぴょう]15年)、国家の安寧や疫病から人々が救われることを願って大仏の造立を命じたのである。日本での疫病は古くより、海外から持ち込まれることが多い。平城京の天然痘は、朝鮮半島の新羅(しらぎ)に派遣した使節(遣新羅使=けんしらぎし)を通じて入ってきたと言われる。日本人は長い歴史の中で、流行り病(はやりやまい=感染症)に何度も苦しめられ、見えない敵と闘ってきた。その名残が節分の豆まきなど、日本の文化に息づいている。だが、今日の多くの日本人は感染症の恐ろしさを忘れ、新型コロナウイルス感染拡大で自国に緊急事態宣言が発令されるとは、予想できなかった。人々が大都市に密集し、超高齢化する日本社会は、病原ウイルスが好む条件をそろえており、「天敵」への警戒を怠ってはならない。【出典;記事および画像ともに、公益財団法人ニッポンドットコムHP 人類の天敵「ウイルス」(3):感染症の恐ろしさを忘れた日本人 より抜粋して引用させていただきました。】
続日本紀によると、聖武天皇は「私の不徳によってこの災厄を生じた」と自らを責めた。 税の減免、米の支給、資金の貸し付け……。 現代にも通じる応急対策を打ち出し、疫病の症状などを記した文書を諸国に示した。 【出典;読売新聞オンライン(2020/10/20 10:00)【苦難を越えて・正倉院宝物の原点】(上)疫病退散 心一つに より抜粋して引用させていただきました。】 |
【参照動画;NHK for school 聖武天皇・行基~大仏はなぜ作られたか~ 】
【動画出典;MBS NEWS 「1300年前のパンデミック状況が現代と酷似!?税免除や現金給付...現代の検討案が奈良時代に(2020年3月18日)」より、共有埋込コードにて転載させていただきました。】
ん~、なるほどなるへそ、国家の安寧や疫病から人々が救われることを願って、聖武天皇が大仏の造立を命じたのが、743年(天平15年)だったんですね。
このようにして、東大寺の本尊として世界最大の金銅仏、盧遮那仏(るしゃなぶつ)の造営が始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼法会が盛大に行われました。
【画像出典;公益社団法人 奈良市観光協会HP「大仏のすべて」より転載させていただきました。】
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そ・し・て。。。。で、ある。
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時は流れて、奈良の大仏様の開眼から1269年後の2021年(令和3年)・・・・
誰もが仏心の優しい気持ちになってお互いの癒しとなり、ひいてはそれが人々の疫病免疫力の一助となることを願って、スリムちゃんが「疫病退散マスク」の着用を始めました!
そ・の・マスク・こ・そ・が、コレだ!!!
ゴゴゴゴ
大仏マスクぅううっつアアアア!!!
僅かな布切れと1台のミシンで作られた「令和の大仏マスク」
着用者自らが御仏の精神「怒らない、いつも笑顔で」を身にまとうことで、オノレ自身も、そして世間も丸く穏便に収まるという、効能あらたかなマスクといえましょう!
裏面は、鼻口にフィットしてお肌に優しい綿のガーゼです。
「神道」である神社の境内を、「仏教」である大仏マスクを身に着けて歩くスリム鳴造。。。。。。
それこそが、神も仏も仲良く共存する国に暮らす者の、日常風景でございましょう。
私は特に神や仏を信仰している訳ではありませんが、森羅万象、山や海や岩や木などの自然および農耕や収穫などの人間活動を敬うという意味での信仰心はあります。
つまり、特定の信仰はしないが、神も仏も関係なく敬うという態度でございましょう。
この態度は私のみならず、初詣には神社、結婚式にはチャペル(キリスト教)、葬式はお寺(仏教)という習慣が定着している現代日本の文化状況においては、多くの方も同じようなものでしょう。
その文化を形作っているのは、やはり日本起源の神道「八百万(やおよろず)の神々」すなわち、この世のありとあらゆるものに神様が宿るという「多くの神さま」の存在がベースにあってこそなのでしょう。
【画像;映画「となりのトトロ」より御神木】
「多神が協力し合っている」「神も仏も受け入れる」「善悪&勝ち負けよりも折り合い&共存を」という「本来持っている大らかな国民性」が日本文化のインナーマッスルであろう、と、スリムちゃんは妄想推察憶測しております。
新年を迎えると、私たちは寺院で除夜の鐘に耳を澄まし、初日の出を拝み、神社で柏手を打つ。 しかし、寺院は仏教、神社は神道、日の出を拝むのは自然崇拝と、信仰の対象はそれぞれ異なる。 日本人は神仏を大らかに捉える民族といえる。 その背景にあるのは、古くから育まれた「神仏習合」の歴史だった。 佛教大学歴史学部・斎藤英喜教授が語る。 「近代の日本は、神と仏を強制的、暴力的に切り離し、峻別することによって長い歴史の中で生み出された多彩で豊かな信仰世界を圧殺しました。大震災や世界的な経済危機など、内外で困難に直面する今の日本は、近代以前の豊かな信仰文化を見直すべき時期に来ているのではないでしょうか」 わずかではあるが神仏習合の伝統を伝える品々や行事が日本各地に残る。 その場に立てば明治以降の日本の信仰のあり方を再考するきっかになるだろう。 【出典;NEWSポストセブン(※週刊ポスト2012年1月1・6日号)より抜粋して引用させていただきました。】 |
もちろん、人それぞれ特定の何かを熱心に信仰することは全くの自由でございましょう。
た・・だ・・し。。。で、ある。
ネットで繋がりあらゆる人々が横で対等に交差する21世紀においては、初詣に行きクリスマスを祝い除夜の鐘で年越しを迎える「信仰に大らかなで寛容な習慣」「他となるべく争わず折り合いを見つける事」こそが、全地球的なパンデミックも乗り越えていける大きなヒントになるのではないか、と、ド底辺なスリムちゃんは下から目線で思っています。
これは食生活でも同じことで、例えば「何が何でも炭水化物が悪い」とか「糖質制限こそ絶対だ」と泣き叫ぶ糖質制限推進派センセのご教示に従っても、99.9999999%の一般人は決して長い健康生活は過ごせないでしょう。
もちろん、信仰にしても食事法にしても、ある方法に集中して、効果があることもあるでしょう。
私も糖質制限を試してみて集中して実践し、健康改善することの一助となりました。
だから神や仏に拝んだら色んな問題が解決し好転したという人がいたとしても、その方の話も信用します。
「お前にとっては、それで良かったのだろう」と。
だからと言って、それに異常に興奮・感動してしまって「他の方法をバカにしたり食べ物を粗末にしたり、炭水化物を食べる人を薬物中毒と一緒だと言ったり、他の考えを排除しようとする」思考・行動に陥ってしまうと、長い人生における健康担保は困難であろうし、何より、頭の悪い医師がネーミングした「糖質セイゲニスト」になってしまうと、最早「勧善懲悪、他者排除」の排他的な宗教信者となってしまい、一般患者や庶民は、社会生活が成り立ちません。
効果やご利益があったとしても、一時的に熱狂することがあったとしても、基本的には心の中ではヘラヘラニヤニヤして「へぇ~。こんなことに夢中になってる自分がいるな。オモシレーw」と、常に客観的に観察的にオノレを見て「自分を笑う」気持ちを失わないようにしたいもので、ございましょう。
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